社会の閉塞に風穴を開けるニュース〜ただ一人、強制不妊被害者の声を伝えた女性記者
大学の後期授業が9月末に始まった。7年目の尚絅学院大とともに、東北文化学園大で3年目の担当となる「マスコミュニケーション論」が開講した。
50人の受講生が集った東北文化学園大の授業は、スマホの受発信で世界中とつながれる「きみたち一人一人がメディアであり、マスコミュニケーションの主役」という現実認識を出発点に、2回目の「ニュースって何だろう?」ではこの夏、大きなニュースとなった旧優生保護法の強制不妊を題材に選び、現在、神奈川新聞記者の加地紗弥香さんを教室に招いた。
加地さんは河北新報でサツ回りとして1年在籍した当時、仙台の強制不妊手術の被害者、飯塚淳子さん(仮名)と出会った。15歳で何も知らされぬまま施された手術への怒り、責任ある国、県から何の謝罪もない悔しさを3時間、訴えられた。
「優生保護法という法律があり、問題はなかった」「公正な審査の結果だった」「国会議員が作った法律(議員立法)で、厚労省に責任はない」と、門前払いをされていたという。
一人の新人記者が取り組むには、余りに深刻で大きな問題だった。加地さんは悩みと模索の末、「この人の声を伝えるために、私は記者になったんだ」、「国の言い分を崩せれば、きっと社会が動く。取材を貫きたい、と会社を辞めました」。社会から拒絶された当事者と出会った記者として、その責任を果たそうとした。
母校の仲間らが創刊したニュース媒体「ワセダクロニクル」での連載を目指し、「❝ドン・キホーテ❞でバイトをしながら取材をしました」。強制不妊手術は、<優生保護法の目的は「不良な子孫の出生を防止する」(同法第1条)でした。敗戦後、「日本民族の再興」を目指した政治家たちの発想でした。遺伝性とされた疾患や障害を持つ人が対象でした。手術の対象は、遺伝性のない疾患や障害を持つ人、そもそも疾患も障害もあるとはいえない人にまで広がり犠牲者は増え続けました。>(2018年の連載『強制不妊』より)。
厚生省が旗を振り、1950年年代から全国の都道府県が手術数を競った。加地さんは情報公開制度を通して各県の関係文書を集め、回答を求め、真相を追った。
「千件突破」を祝い、全国一の実績を自賛したのが北海道。次が宮城県だった。宮城では推進母体に、東北電力会長、障害者団体、PTA、婦人団体、校長会、医師会、教職員組合、顧問に県知事と仙台市長、衆参議員、県議会、NHK仙台や河北新報のトップ、東北大教授らも名を連ね、❝県民総ぐるみ❞の運動が精薄児とされた子らを巻き込んだ。今年7月3日、全国の被害者たちの訴えに最高裁が「憲法違反」と国を断罪した事実の数々を、加地さんは掘り起こした。
飯塚さんは法廷で弁論に立ち、全面勝訴に「長い苦しみだったが、今日が最高の日」と語ったと報じられた。加地さんはそこに立ち会えなかったが、「連載で情報が流れ始めると、他のメディアの報道も広がり、飯塚さんにも闘う仲間が増えていった」と自らの役目を果たせた思いを授業で語った。スクープとして先鞭をつけた『強制不妊』の連載(24回と関連記事)は貧困ジャーナリズム大賞に輝いた。
加地さんは受講生たちに、「自分たちが生きている社会で、おかしいな、こうなればいいな、こうすれば変わるな、とか思い、一人の人間として向き合う勇気を大切にしてほしい」とメッセージを託した。授業後の出席者カードは「お話を聴いて、自分の考えが変わった」、「誰かが声を上げないと、おかしいことが正しい意見になってしまう」、「私も祖母から、不妊手術を強制された人がいる、と聞いたことがある」などの感想で埋まっていた。
マスコミュニケーションとは、水や空気のように新鮮な情報が社会を循環し、人をつないでいる状態と考える。隠された問題が社会を閉塞させた時、そこに変化の風穴を開け、孤立した声をつなぐ情報こそが「ニュース」と呼べるのではないか。
(写真:東北文化学園大の授業で受講生に語り掛ける加地さん)