❝七月十日は灰の町❞ 80年前の仙台に降った焼夷弾の夜

❝仙台よい町、花の町、七月十日は灰の町❞
 80年前の7月、相馬から当時の宮城女専(今の向山高校あたり)の寮生になった母親は、こんな妙なことが書かれたビラを見せられたという。米軍機が大量にまいていったものだった。
 その文言の通り、7月10日の未明、仙台はB29の大空襲に遭い、引っ越しの疲れで寝入った母親は避難し遅れた。八木山の高射砲陣地が近かったため焼夷弾が降り、「ばかもん、早く来い」と兵隊に叱咤されて命からがら逃げたそうだ。第二師団があった仙台は焼け野原になり、千人以上が犠牲になった。
 盆帰りした15日に母親が昔語りした。96歳で他界した父親も当時旧制仙台工専の学生で秋田での石油堀りに動員され、仙台方向の夜空が赤いのを見たという。
 「青春を返せ、と今でも言いたい」それでも「負けてよかったの」と彼女は言い、父親は「軍人が威張る世の中は二度とだめだ」と語っていた。戦没者三百万人余りという国策の責任はいまだ取られていない。