レクイエム・プロジェクトのための合唱組曲「また逢える」に続く2作目の詩を書き、作曲家・上田益さんとの共同作業が始まりました。

【新しい詩が浮かぶ そして「相棒」のかけがえなさを知る】
 少し肩の荷をおろした心地の週明け。不思議な必然?の出会いになった作曲家、上田益さんに、約束の詩をお渡しできた。
 上田さんは、東北をはじめ全国の戦災地、被爆地、そして東北はじめ被災地のための「レクイエム・プロジェクト」を主宰し、各地の体験者たちの思いを紡いだオリジナルの詩に作曲し、当事者や有志の合唱団と一緒に、生への希望あるレクイエムを毎年、各地で響かせる。
 歳も同じ上田さんとのご縁は、一昨年9月にあったレクイエム・プロジェクト仙台の演奏会で初演された組曲『また逢える〜いのちの日々かさねて』の詩を書かせてもらったこと。詩人ではないのに、東北の被災地の声を聴いてきた人に頼みたい、と。『また逢える』は今も、上田さんが全国を巡って絆を深める歌い手たちが各地での初演を重ねている。
 7月16日(日)には、北いわて(久慈市や野田村など)のレクイエム・プロジェクトの仲間が活動10周年コンサートで歌う。やはり活動10周年を迎えた「レクイエム・プロジェクト仙台」の記念コンサート【9月24日(日)、電力ホールで開催】でも歌われる。
 新しい詩は、その後、10月から練習される予定の上田さんの次の作品のためのものだ。
 筆者の入院中のベッドで書いた前作の詩は、被災当時から耳を傾けた人々の声が、生き死にを考えた場所で自然に湧きあがった。新しい詩は、震災12年のいまだ何も解決していない現実、書くべき事実に追われていた筆者には、締切を過ぎても浮かばなかった。
 頭にあったのは、復興遠い古里の多くの事実。詩に掛かろうとしても、どうしても”詩の格好をしたルポ”に。現実しかないところから、希望のないところから詩は書けないと思いかけた。
 そんな時、上田さんは「歌になるいろんな言葉が、もうあるじゃない」と返信をくれた。3月11日までの取材行の感想を綴ったFacebookの投稿に、そんな種のような言葉が散らばっているという。
 取材者の意識からふっと離れたところで、出合った情景に自分の心象が映っていた。満開が早かったこの春、桜の美しさに気づき、3月11日を被災地の人たちと共に過ごした若者たちの姿に、生あるものに訪れる季節のめぐりを初めてのように知った。震災を生き延びた私たちに等しく託されたのは、「これからをどう生きるか」なのではないか、と。
 上田さんの返信にも「希望と呼べなくとも、いまある意志が歌になります」とあった。
 締切をはるかに過ぎた春になり、心に眠っていた風景、大切に温めていた言葉がよみがえった。それから詩は、次々に浮かんだ。それは頭で考えるものでなく、心に浮かぶものだ、と思い出された。上田さんはますます忙しいことになり、ご迷惑をお掛けしたが、これからのブラッシュアップを経て、作曲家の心からどんな音楽が生まれるか、楽しみでならない。そして「相棒」のかけがえなさを知った。
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