浜松市防災教育センターの講座「知ってほしい 福島原発事故被災地の今」で現地報告しました!

5月27日、浜松市防災教育センターのお招きで、と題する講座で現地報告をしました。南海トラフ地震の不安、浜岡原発が近い環境から、市民の防災の意識と気運は高く、会場いっぱいの参加者に聴いてもえらました。
 取材してきた郷里の被災地のうち、13年目の避難指示解除もあった飯舘村や浪江町の帰還困難区域の現在の姿、状況、住民の声を、全住民避難からの歩みとともに、すべてリアルな写真で紹介しました。
 関心の風化の早さ、「記念日報道」の常態化で、現地の風景すら想像してもらうのが難しくなった中、地元から発信する者の役目はもう”戦場カメラマン”にも近いのではと感じます。
 いまなお「復興」から遠い現状、そこで地域と農地の再生に苦闘する人々、古里の除染と帰還への国と東電の責任を問い続ける裁判のことなどと併せ、全国の被災地に「ローカルジャーナリスト」の仲間が広がればいいとの希望を伝えました。感想には、福島の浜の処理水放出の問題も現地報告してほしいとの声もいただきました。企画してくださった原田博子さんに感謝を込め、投稿をシェア!
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【浜松市防災教育センターの原田博子さんのfacebookより投稿シェア】

「知ってほしい 福島原発事故被災地の今」
防災学習センターで、きょう、仙台から福島出身のローカルジャーナリスト寺島英弥さんをお招きして講座を行いました。
コロナ禍の折は、zoom講座で遠隔地の講師の話を聞いてきましたがやはり生の、対面で話していただくことほど響くものはないですね。
震災から13年目を迎えました。
東日本大地震直後から、現在に至るまで、寺島さんの故郷、福島県が原発でどんな状況に置かれてきたのかを多くの写真を見ながら聞きました。今年、避難解除された飯館村長泥地区を含め、比曽など全てが復旧(復興とは呼べないでしょ)したわけではない理由なども聞きました。
ずっとあちらこちらを歩いて取材して、そこの人たちに毎年のように会いに行きその今を発信してきた人だからこそ知る人々の悲哀に満ちた物語。
私も寺島さんが書いたブログを何年も拝見してきましたので、懐かしい写真がいくつもありました。
災害は選べないけれど原発は違います。現実を知り何を選択していくべきか深く考える課題だと思ってます。
前日は浜松を知ってもらうため、大河ドラマ館などご案内して、食事と交流となりました。
また、お越しください。ありがとうございました。寺島さん。
3人、勉強している人、病院の画像のようです
5人、テキストの画像のようです