<復興>の本当の意味って何だろう? 浜松学院大の学生たちと一緒に考えた
「東日本大震災、福島第一原発事故の『今』を見つめる」とのテーマで先日、浜松学院大で講義をさせてもらった。浜松市防災学習センター管理者で防災講座も企画され、同大学で「危機管理」の授業をされている原田博子さんに呼んでいただいて。震災から13年が経った東北の被災地の現在地から「復興」の意味とは何なのか?を、約30人の受講生に一緒に考えてほしいと考えた。
「復興」という言葉、筆者はこの13年の間、当事者の方々から直に語られるのを一度も聴いたことがない。毎年3月11日を中心に、マスコミに溢れ出る言葉なのだが。誰が言い出したのか、河北新報のデータベースからひもとき紹介した。
<復興になれば予算もかかるもの>(菅直人元首相)<福島の再生なくして日本の再生なし>(野田佳彦元首相)<福島の復興なくして、日本の再生なし。この基本姿勢の下に復興に全力を尽くしてまいりました> <復興をどんどん進めていくためにも、日本の経済を強くしていかねばなりません> <私たちはしっかりと、しっかりと、復興を加速させていくことをお誓い申し上げる><(原発汚染水の)状況はコントロールされている。東京に置く影響を及ぼすことはない(中略)復興を成し遂げた姿を世界中の人々に向けて力強く発信していく><東京五輪・パラリンピックまでに東北、福島の復興を加速させる> <何としても復興五輪としたい>(安倍晋三元首相)
いずれも国会答弁や選挙演説、IOC総会などで政治家が語ってきたスローガン、いわば政治用語だった。それでは東北の被災地の13年後はどうなのか、筆者の現場取材から写真で見てもらった。空前の規模のかさ上げ事業が行われた後、住民の多くが戻らず、「売地」「貸地」の立札が並ぶ陸前高田、帰還住民が往時の5分の1ほどで行政区の再生もままならぬ飯舘村、住民が今も避難先から帰れない浪江町の帰還困難区域―。「復興」は政治が世間に向けてつくったイメージ、対極にある「風化」という言葉は中央のマスメディアの関心低下が生んだ現象とローカルに立つ筆者はみており、年に一度の「記念日報道」という用語もある。
<メディアのせいもあるけれど、震災5年のときに世間が一区切りっていう雰囲気をつくっちゃった。でも地元の人で区切りたいと思っている人は誰もいなかった。あれはすごくよくないこと>という東北の被災地を支援するサンドウィッチマンの発言(2018年3月9日の河北新報)、震災から6年目で「節目」と3月11日の記者会見を打ち切り「復興五輪」へアクセルを踏んだ安倍元首相の対応も、並べて紹介させてもらった。
一方で被災地ではどうか。津波で殉職した宮城県の警察官の息子さんらのために温かい水を携え、月命日ごとに供養の巡礼を続ける母親や、帰還困難区域にされた古里を全面除染して返せ―と国、東京電力を相手取り裁判を続けている浪江町津島地区の600人の住民たちの声と思いを、筆者の【TOHOKU360】への取材記事を通して知ってもらった。
「復興」も「風化」も「記念日」もどこか遠くの他者の世界の言葉。被災地が望んだのは、アベノミクス景気のおこぼれでなく、オリンピックにすがる幻想の未来でもなく家族、仲間、生業とともに再び古里に生きる日々。当事者の震災・原発事故は深い「喪失」の傷みとともに今も続く。来年で30年になる阪神大震災以来、各地の被災者らの孤立死、自死が報じられ、多くが復興アパート(災害公営住宅)と呼ばれる場所であることも問題を象徴している。
講義の最後は、筆者が尚絅学院大(名取市)の能登支援活動に参加し、現地に集った大学生ボランティアの奮闘に年配の住民たちが元気づけられ、諦めかけた家と集落の再建へ心を動かしている、という報告をさせてもらった。それこそが真の「復興」につながるのではないか、と。=参照 TOHOKU360【現地ルポ・寺島】地震・水害の二重苦続く能登の被災地 住民支えるボランティアの力(前編)https://tohoku360.com/shokei-noto/ 、(後編)https://tohoku360.com/shokei-noto2/=