被災地・名取市閖上の自治会長・長沼さんを今年も若者たちが取材し、言葉を聴きました

 東日本大震災で犠牲者750人余りの津波被災地となった名取市閖上で、2019年に新発足した閖上中央町内会の会長をされている長沼俊幸さん(61)。地元の尚絅学院大で筆者が担当する「実践講座 当事者とつながる学びとスキル」に参加してくださり、今が3年目になる。
 長沼さんはあの日、自宅の屋根に奥さんと二人で上ったまま津波に3㌔流され奇跡的に救出された。避難所を経て仮設住宅で6年半暮らした後、かさ上げ工事で新造成された閖上の街に帰還し自宅を再建、自治会長となった。被災と避難生活の体験者、再建地への帰還者、コミュニティー再生の模索者として、年月とともに変容する被災地の姿と課題、失われた「古里」と「復興」の意味、そして震災に終わりがないことを、若者たちに教えてくださる。
 この授業では受講生15人が新人記者のように、取材の意味と方法を学び、閖上について調べ、現地で長沼さんのお話を聴き、仲間の住民の方々をインタビューし、さらに教室に長沼さんを招いて直の対話を重ねた。それぞれの問題意識と視点を見つけて、「いかに他者へ伝えるか」のスキルを身につけて、オリジナルの記事づくりに取り組む。当事者とつながり、自らも新しい「伝承者」になる場でもある=参照記事 https://tohoku360.com/shokei/ =。そこで長沼さんは、こんな心情をまっすぐに語ってきた。
 「2017年7月に仮設住宅から。生まれ育ったところに戻ってきた、其の時はうれしかった。しかし、1年、2年、3年、4年していくうちに、変わった。古里なのに、家から外に出てみると、分からない町、見たことのない町。昔友だちと遊んだところも、どこだか分からない。私ですら分からなくなっている。それは、すごく寂しい。年を重ねると寂しくなる。そういう寂しさも災害なのだ」
 「同級生の女性は4人の家族を亡くして、いまだ閖上に来たことがない。自分が生まれ育ったところに、まだ来られない。閖上に新しい街ができて、にぎやかになっても、まだ来られない、話せない人がいる。それが被災地というところだ。閖上だけじゃなくて、どこに行ってもそうだと思う。そういうことも知ってほしいなと思う。それが災害。終わりってない」
 「私が思っていた唯一の復興は、閖上の仲間の人たちと、内陸に場所は移っても、一緒に新しい生活を始める。それが復興だと俺の中で思っていた。でも閖上の新しい街づくりが遅れ、もう戻りたくないという人、出て行った人がたくさんいた。4年目くらいに、もう俺の考えた復興はなくなった。名取市は『復興達成』をイベントで宣言したが、その言葉にも違和感を覚えた。復興の意味を誰に問うても答えたられた人はいない。私は復興という言葉が嫌いになった」
 長沼さんには、現在の閖上を訪れる他者の目には見えない、「震災前の失われた古里・閖上」姿の、「互いに家の鍵を掛けたこともなかった」住民の暮らしが、❝VR❞のように二重写しに見えているのだと感じる。私たちの授業は、長沼さんとつながることでそれを可視化し、震災を知らない人々にも伝える作業だ。
 震災の「風化」とは、被災者と社会のコミュニケーションの閉塞と孤立化を生み、当事者の存在も今ある問題も「見えない」ものにしてしまう。年に一度の「記念日報道」でよしとする中央メディアに因するもが大きいと思うが、筆者は、当事者と、とりわけ若者がつながることで温もりあるコミュニケーションが生まれ、「希望」も生まれることを事実で知っている=参照記事 https://tohoku360.com/shokei-noto2/=
 筆者は12月24日、長沼さんを東北文化学園大(仙台)でのマスコミュニケーション論の授業にもお招きし、初対面の50人の若者に閖上からのメッセージを伝えていただいた。尚絅学院大の授業もで年明けには、受講生が新鮮な視点から掘り起こした記事の原稿が続々と届く予定だ。