東日本大震災4年目の記録 風評の厚き壁を前に 降り積もる難題と被災地の知られざる苦悩

  • 単行本(ソフトカバー): 312ページ
  • 出版社: 明石書店
  • ISBN-10: 4750341460
  • ISBN-13: 978-4750341460
  • 発売日: 2015/4/23
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まえがき

「風評は一時の『風』でなく、復興を妨げる『壁』になった」。それが現実であると実感したのは、東日本大震災から4年目を数えた2014年3月だった。宮城県内の水産業に携わる人々が被災地の浜の復旧・復興を議論したシンポジウムで、福島第1原子力発電所からの汚染水流出の影響と被害を訴える、悲鳴のようなメッセージの数々を聴いてからだ。

「浜や漁業の復興はいまだ道半ば。復興の努力にのし掛かるのが原発事故の風評だ。捕っても売れるのか、と漁業者自身も不安に思っている」「放射能が検出されないのに、(同県産のカキが)西の産地の安い加熱用カキと同様の値を付けられ、震災後の市場回復ができないでいる」「東北出身で関西に住む主婦から電話をもらった。うちの商品をスーパーで見つけ、友人に『食べて応援して』と配ったら、『東北のものはしばらく食べないことにしている』と言われた、と」

東北の大震災はそれまで北の宮城、岩手2県が大津波、南の福島が原発事故の被災と観念的に色分けされ、分断されていた観があった。しかし、被災地は海でつながっている。いったん収まりかけた原発事故の風評を再燃させ、南も北も巻き込んで被災地の生業復活が脅かされた問題のきっかけは、 13年7月22日に東京電力が公表した新たな汚染水の海洋流出だった。

時を同じく、日本の復興を世界にアピールしようという「2020年東京五輪」招致ブームが沸き起こった。同年9月7日、安倍晋三首相は国際オリンピック委員会総会(ブエノスアイレス)での招致演説で、「(汚染水流出の)状況はコントロールされている。私たちは決して東京にダメージを与えない」と発言した。苦境に陥った被災地の実情を見ずに東京の安全を強調し、問題を原発の狭い「港湾内」の出来事のように印象づけた。

「汚染水の報道が出るたび、消費者の反応は強まる。業者の買いたたきの材料にもされる」「震災3年目には流通市場に商品を出せなくなった。関西の出荷先から取引を打ち切られた仲間の加工業者もいる」「漁業者にとって自然のリスクはつきもの。だが、どうにもならない災害もある」「皆が借金を抱え、船やボイル加工の油代も高い。復興へ体力を蓄えるべき時の減収は厳しい。『やっていけない』という声もある」「三陸産は、やはり西日本の業者や学校給食から敬遠された。風評だ。福島第1原 発事故、汚染水……。ずっと続く」

冒頭のシンポジウムの後、いわき市四倉町から宮古市重茂半島まで訪ね、取材ノートを埋めていった声だ。14年5~6月に「『風評』の壁模索する浜」という河北新報の社会面連載にまとめたが、 問題がそこで終わるはずはなく、再訪するごとに当事者たちの状況も変わり、続報が積み重なった。 2011年以来、震災取材記をつづってきたブログ「余震の中で新聞を作る」(河北新報オンラインコミュニティー、ウェブマガジン『現代ビジネス』に掲載)に、それらを詳報したシリーズ「風評の厚き壁を前に」がこの本にまとまった。

風評は被災地の浜のみならず、14年7月、福島第1原発構内から粉じんが遠く飛散した疑いが報じられ、コメ作り復活に向けて実証試験を重ねていた南相馬市内の農家をも巻き込んだ。「原発粉じん」の原因究明は、しかし、国によってあいまいな結論にされ、やり場のない怒りと新たな風評への疲労感が地元に残された。この「事件」は、原発事故以来4年間、稲作復活の可否を手探りしてきた農家の人々に重くのしかかった。さらに14年秋には全国的なコメ余りを背景に米価(概算金)が下落し、 福島県浜通り産コシヒカリは4割減の暴落になった。追い討ちを受けた形の農家は「作るほど赤字。 ここにも風評が反映された」と口をそろえる。米価暴落は、水産物への風評を抱えた漁業者と同じ苦境に農家を追いやり、コメの行方のみならず、誰が農業復興を担うのか?――の未来図も不透明に なった。

南相馬市の隣、飯舘村では14年春から家屋と農地除染が本格的に始まった。田んぼは耕土を削られて山砂で覆われ、黒いフレコンバッグ(汚染土の袋)の仮置き場が広がる。土作りに歳月を要する田んぼ再生の多難さ、「またコメを作ったとしても、風評でどうせ売れまい」という諦め、そして米価暴落が、住民の帰農、さらには帰村への意欲を揺るがせる。

東北の外で「震災の風化」は進むが、「風評」はなくならず、被災地と消費地を隔てる「壁」になった観がある。しかし、この取材で知り合った漁業者や農家は、そんな二重の苦境の中でも前を向き、安全確認の厳しい検査に努力を注ぎ、試験操業に漁業再生の希望を託し、農地を生き返らせる実験を重ねる。消費者とのつながりを一から模索している。古里の震災と家族の犠牲、原発事故の癒えぬ痛みを抱え、風評払拭の重いコストを背負い、市場原理の過酷な風にさらされ、「対策の前面に出る」との公約を繰り返しながら責任を果たさぬ国に憤る。その姿と声を、伝えなくてはならないと思った。

「復興をどんどん進めていくには、日本の経済を強くしていかなければなりません」。14年12月、安倍首相は衆院選の第一声を相馬市の漁港で挙げ、看板の経済政策アベノミクスの成果や効用を説いた。 地元の人々が責任ある約束を何よりも聴きたい「廃炉」「汚染水」に一言も触れず。ある漁業者は 「よその世界の話のようだった」と振り返った。被災地で「売り上げが震災前の8割に回復した」水産加工業者はわずか40%―という水産庁の最新の調査結果が15年3月7日の河北新報に載った。回答数で最多の31%を「販路の確保・風評被害」が占め、「人材の確保」が25%で続いた。ありのままの現実だ。そこで生きられなければ、働く人や家族は戻れない。人口流出も止まらない。被災地が望むのは、アベノミクス景気のおこぼれではない。東京オリンピックのブームの陰で忘れ去られる未来でもない。再び自らの生業で立ち、古里で生きられる日々だ。

2015年3月11日午後2時46分から刻まれる「大震災5年目」も、その現実から始まっている。 「続報」の取材も終わりなく続いていく。それが地元紙記者たちの仕事である。