東日本大震災 何も終わらない福島の5年 飯舘・南相馬から

  • 単行本(ソフトカバー): 352ページ
  • 出版社: 明石書店
  • ISBN-10: 4750343765
  • ISBN-13: 978-4750343761
  • 発売日: 2016/8/25
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まえがき

東日本大震災、福島第1原子力発電所事故から5年を過ぎて、頭に去来するのは「この5年間とは何であったか?」という問いです。2011年3月11日午後2時46分から刻まれている「被災地の時間」に生きる人々にとって、「あの日から○年」という節目とは、その度、何も終わっていない目の前の現 実と否応なく向き合わされ、失われたもの、奪われたものに心の痛みとともに見つめ直し、明日を生きていくために再び自らを奮い立たせなければならない、険しくつらい峠越えのような試練です。いまだ 旅の終わりが見えぬ、どこまでも「途上」の風景です。

私がいま思い浮かべているのは、この5年の間に通ってきた福島県浜通りの原発事故被災地の風景。 住民が避難したままの無人の町や村には除染作業の重機やダンプの音だけが響き、先祖の墓地は雑草に埋もれ、汚染土を詰めたフレコンバッグの山が山野に広がっています。全住民が避難する飯舘村には17年3月末を期日に、政府による「避難指示解除」が迫っていますが、未解決の問題がそのままの姿でさらされた村の風景の1年後を、私はいまだ想像することができずにいます。

集落の隣人が何人戻ってくるのか分からない。しかし、仲間なしでは孤立して生きるほかない地域共同体の再生を苦慮する人、環境省による除染後も残存する放射性物質の除去を訴え、安全な帰還のために自ら除染実験に挑む人。被災地にまとわりつく「風評」の厳しさにあらがい、生業再開の可能性を模索する人。異郷の仮設住宅で心身を弱らせる高齢の仲間たちを、自らも病を抱えながら支えてきた人。 原発事故後の混乱で心を痛めて古里を離れる決断をし、慣れぬ風土でコメ作りと格闘している人。 東北の大震災を伝え続けてきた河北新報の記者の1人として、また原発事故被災地となった福島県相馬地方を古里とする者として、私は飯舘村や南相馬市に通いながら、そんな人々と出会いの縁をもらってきました。1本の短いニュースでは「いま」の断片しか見えず、あまりに早い時の流れに消え去ってしまいますが、そこへ通いながら続報を重ねていくことで初めて、人の語る言葉の後ろに連なる長い前史、苦闘から生まれた選択、明日を生き直そうという決断の意味を、被災地から遠い地域の人たちにも 伝えられるのではないか、と念じてきました。

大震災発生から3日後の2011年3月14日から、取材先での出来事やノートを埋めた当事者の言葉をできる限り記録しようと、ブログ「余震の中で新聞を作る」を書いています。それも5年を超えて、 つづってきた被災地の物語は158回になりました。「大震災4年」となった15年3月11日を迎えたこ ろ、私は当時の状況を次のように記していました。

『「復興をどんどん進めていくには、日本の経済を強くしていかなければなりません」。14年12月、 安倍首相は衆院選の第一声を相馬市の漁港で挙げ、看板の経済政策アベノミクスの成果やバラ色の効用を説いた。地元の人々が責任ある約束を何よりも聴きたい「廃炉」「汚染水」に一言も触れず。ある漁業者は「よその世界の話のようだった」と振り返った。被災地で「売り上げが震災前の8割に回復した」水産加工業者はわずか40% という水産庁の最新の調査結果が15年3月7日の河北新報に載った。回答数で最多の31%を「販路の確保・風評被害」が占め、「人材の確保」が25%で続いた。 ありのままの現実だ。被災地が望むのは、アベノミクス景気のおこぼれではない。東京オリンピックのブームから置き去りにされる未来でもない。再び自らの生業で立ち、古里で生きられる日々だ。2015年3月11日午後2時46分から刻まれる「大震災5年目」も、その現実から始まっている。「続報」の取材も終わりなく続いていく。』

このブログをまとめた4冊目の本として15年5月に出た『東日本大震災4年目の記録 風評の厚き壁を前に』(明石書店)の前書きの一節です。文中の「再び自らの生業で立ち、古里で生きられる日々」 を取り戻せるのか――という問いは、そこから1年がたってもまだ答えが見えないままです。さらに次 の1年を記録していったブログの主題は自然と、同胞の地である福島県浜通りの状況と推移に絞られていきました。

「帰るか、帰れぬのか」の選択が住民により切実にのしかかる中で、除染作業の遅れ、農地に居座る汚染土袋の山、屋敷林に貼りついた放射性物質への不安、対策が見いだせぬ「風評」との闘い、帰る人を孤立から救う支え合いの不在への懸念、共同作業や祭りの存続も難しくなる地域の行方など、むしろ「帰還」への難題があらわになっていくと感じられたからです。政治の側が大震災、原発事故に幕引きするかのように振りまく「復興」の明るい響きが現実を覆い隠そうとし、逆に被災地には厳しい正念場が迫る状況で、同胞たちはどのような選択をし、生き直そうとしているのか?古里の未来はどうなろうとしているのか?そんな新たな現実を記録しなければなりません。