福島第1原発事故7年 避難指示解除後を生きる――古里なお遠く、心いまだ癒えず

  • 単行本(ソフトカバー): 272ページ
  • 出版社: 明石書店
  • ISBN-10: 4750346446
  • ISBN-13: 978-4750346441
  • 発売日: 2018/3/11
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まえがき

2011年3月11日に起きた東日本大震災と、続く東京電力福島第1原発事故から丸7年。福島県 浜通りの被災地を歩くほどに深まるのが、「避難指示解除とは何だったのか?」という問いです。政府は原発事故による高い放射線量を理由に、同県飯舘村、浪江町、川俣町山木屋、富岡町の4市町村に出していた全住民の避難指示を17年3月31日(富岡町は翌4月1日)に解除しました。帰還困難区域を除く地域から避難していた計3万2000人の住民が、未曾有の大規模な除染作業が終わった古里に帰還できるようになったのです。しかし、それから1年、実際に帰還している住民は多くの自治体でもおよそ1割前後。なぜなのか、その現実が意味するものは何か、現場の取材で出会った人々と 風景が答えを語りました。

6年もの避難生活で被災者が待ち続けた未来の古里には、元に戻ったものがほとんどないように見えます。街や集落では建物が解体されて更地が広がり、長い歴史を分かち合い助け合ってきた隣人も、大小の共同体を培ってきた縁のつながりも。この1年の取材で記録してきただけでも、除染後に荒れ野同然となった農地、いまだ高い放射線を発する居久根(屋敷林)、動物に侵入され荒廃した家々、コメ作りによる被災地の復興を阻む風評、癒えることのない心の傷と人の絆の分断、先の見えない廃炉作業の途上で生じた「汚染水」と漁業者の苦闘、そして、除染されず見放されたような帰還困難区域……。あらためて知るのは、放射能災害の人知を超えた解決の難しさ、被災地を苦しめる歳月のあまりの長さです。

佐野ハツノさん。本書に登場する飯舘村の女性です。仮設住宅で過ごした避難生活の間にがんを発病し、村へ帰還する希望を支えにつらい闘病に耐え、避難指示解除後の古里で亡くなりました。仮設の仲間たちを、自らの疲れもストレスも厭わず「太陽」のような明るさで励まし、大好きな自宅で楽しく生きよう、失われた6年という時間を取り戻そうとする矢先でした。原発事故後を生きる苦痛と強さを取材で見つめてきた人の帰還後の死はあまりに残酷に思え、「避難指示解除とは何だったの か?」との思いを強めさせました。

「復興」という言葉も、避難指示解除後のこの1年で、筆者は被災者の口から聞いたことがありません。現実の厳しさからは、何が復興なのかが誰も分からず、誰も分かち合えない、誰にも見えない言葉だからです。古里に戻った人、新天地を選んだ人、いまだ避難を続ける人。生き直しの決断を迫られたいずれもが葛藤に苦しみ、あるいは隣人なきムラの孤独な開拓者に戻る覚悟を迫られ、苦悩とともに「古里」とは何か?――というもう一つの問いと向き合っています。被災者たちが奪われ、あ るいは取り戻そうとしているもの――そこに原発事故の本質も、何が傷つけられたのかも見えてきます。

同じ福島県の相馬市を郷里とする筆者は、11年4月から相馬地方を中心に原発事故被災地の取材を 続けてきました。この本は、17年3月31日の避難指示解除後に何が被災地で起きているのか――それは復興ではない――という事実、そして、終わりのない苦難を背負いながら生きる同胞のありのままの言葉と思い、魂と呼ぶべきものを、取材の縁を重ねる人々の歩みを通して描いてみました。共に追体験していただけましたら。本文は、毎月執筆させてもらっている新潮社の情報サイト『Foresight』 に16年10月~17年1月まで掲載された記事に加筆しました。

注 : 原発事故では11市町村の計約8万1000人が避難対象となり、これまでに田村市都路地区東 部、川内村東部、楢葉町、葛尾村と南相馬市の一部などが解除された。新たな解除地域を加えると面積で67.9%、当初人口との比較で約7割が居住可能とされた。福島第1原発がある双葉、大熊両町と、南相馬、浪江、富岡、飯舘、葛尾の7市町村にまたがる帰還困難区域は避難指示が継続され、約2万4200人の避難生活が続く。