5月21日、早稲田大政経学部の講座「メディアの世界」で授業をしました。テーマは「被災地と共に~当事者とつながる取材とは」。100人近い受講生の感想票を読んでの返信メッセージです。ごらんください。

【この一文は、5月21日に早稲田大政経学部の講座「メディアの世界」(瀬川至朗教授)で、「被災地と共に~当事者とつながる取材とは」の題で授業をさせていただき、学生さんの感想に答えながら、東北を現場としてきた私なりの経験発の「ローカルジャーナリスト」への思いをまとめたものです。島根の同僚、田中輝美さんが命名したローカルジャーナリストが、さまざまな場のさまざまな仲間に広がれば、と願います】

「被災地と共に~当事者とつながる取材とは」の講義をさせてもらい、皆さんの感想票を拝読しました。河北新報記者を卒業し、東日本大震災・原発事故の被災地となった古里で始めた「ローカルジャーナリスト」の活動と視点を紹介しましたが、ローカルジャーナリストの存在意味に共感をつづってくださったこと、ありがとうございます。

『自分のできることは、「目にした風景、出会った人の言葉や状況、その場の匂いや音や色、それらを削ることなく記録し、伝えること。そして、同胞たちの声の発信を手助けすること」。そんな真っ白な使命感のようなものでした。』『何も終わらない被災地の人々の闘いや痛み、新たな問題も生まれてくる現実を、当事者の声を通して発信し、応援してくれる人を東北へとつなぐこと。古里と生業を、家族や仲間との暮らしを、懐かしい未来を共に模索してくれる人々をつなぐこと。それが思いになりました』

私が5月に開設したHP「人と人をつなぐラボ」に書いた一節です。記者時代の未曽有の震災取材の現場で、限られた紙面、文字数でしか伝えられない新聞の物理的限界を感じて、取材記ブログ「余震の中で新聞を作る」を始め、被災者の人々と同じ地域で共に生きて、通い続け、声を発信し続けるローカルジャーナリストを目指したきっかけです。

『誰がジャーナリストか、という設問は間違いだ。ジャーナリズムは誰がそれをやるか、どのメディアや企業がそれを伝えるかで定義されるものではない。
ジャーナリズムというものがあるのではない。それは行為だ。情報を伝えるという行為がジャーナリズムなのだ。それは名詞ではなく、動詞だ。』
桜美林大教授、平和博さんの論考で知ったニューヨーク市立大学教授ジェフ・ジャービス氏の言葉を、講義で紹介させてもらいました。私がとても共感した言葉です。さまざまな現場に出合い、立ち合い、事実を知った人が「伝えねばならない」使命を感じ、当事者の声の発信を手助けしようとする時、あらゆる場所にジャーナリズムは生まれます。ローカルジャーナリストの意味も可能性もそこにあります。以下は皆さんの感想の一部です。

『被災地を取材するということは、被災者にとってメディアは「嫌な記憶をフラッシュバックさせるもの」ではないかと私は感じていた。テレビ、新聞、ラジオ、Webニュース、など何人もの記者が詳しく取材することで、心の傷を深掘りさせているのではないかと考えたからだ。しかし、寺島さんは実際に被災地に通い続けることで被災者に寄り添い、何かを求めている、訴えているときにそばにいる存在であった。「被災者と何回も会い、本当の気持ちを考え、事実を伝える」記者、ジャーナリストが増えて欲しい』

『地方での災害は都市部での災害に比べ報道が少ない、という問題が西日本の豪雨の際にネットで目にしました。東京のテレビ放送は東京に住んでいる人向けであるということもあると思いますが、報道は全国どこの出来事でも同じ量行われるべきだと思う』
『ジャーナリストには冷たい響きもありますが、実際一番大切なことは、どんな時も“信頼”。情報は人から生まれるものであり、人からもらうものであり、人に伝えるものだ。ジャーナリストは、人と人を優しい気持ちというか優しいカタチで繋がなければいけない、とてもとても難しく使命感のある仕事なのだと知りました』

講義では、被災地であった酷い「報道被害」を知ってもらいました。遠くから来て、締め切りに追われながら衝撃や悲劇のニュースを漁り、当事者との約束を破って放映も知らせず、癒えることのない深い傷を心に負わせ、抗議を受ければ口先で謝って半ば逃げ、取り返しのつかないマスコミ不信を後に残す。東日本大震災だけでなく各地の大きな災害、事件事故の取材現場で後を絶たない現実です。「ニュースのストーリーを東京で作ってきて、最後の数行の「」のために私のコメントを使われた」といった訴えも聞かされました。いったい誰のためのニュースなのか、そのような「速報」にどんな価値があるのでしょう。

メディア(Media)の本義はMedium、「間にあってつなぐもの」です。現場の当事者と遠くの他者との間にいて、取材相手の発した声の真意と価値を正しく、誤解を生まぬように他者に伝えなくては、オリジナルの情報を劣化させてしまっては、意味がありません。厳しいですが、それがメディアというもの、プロフェッショナルのジャーナリストの責務なのです。取材して原稿を書いた後、私は必ず当事者に事実関係を確認させてもらい、「あなたの話してくれたこと、あなたのその時の思いは伝わりますか?」と尋ねます。そして、それがいつ、どんなメディアに掲載されるか、そして、確かに掲載されたことも伝えます。取材させてもらった当事者が、第一読者、第一視聴者となることを忘れてはいけません。

そして、それで取材が終わりでなく、相手の当事者との信頼関係づくりの始まりにすぎません。メディアの取材は、普通の人にとって人生に何度もないことかもしれません。どんな形で報じられるか不安で、信用できる取材者であるようにと願います。その期待を裏切ってはいけません。そうして世に出た記事を目にして初めて安堵でき、「この人なら、もっと本音の話を聴いてもらいたい」という信頼が生まれます。そこから取材先へ通うようになり、つながりが育ちます。

次の訪問で境遇や地元の状況に変化があった、新たな問題が生まれた、と聞けば、「続報」になります。そうした取材先の縁が被災地の南北に増え、8年の間に数えきれぬ続報や連載が生まれ、新聞、ブログからウェブマガジンに発信の舞台は変わっても、途切れることなく今のローカルジャーナリストとしての仕事に続いています。震災、原発事故の被災地の風景、人の暮らしと心もいまだ復興の途上にあることを伝えることができるのです。
新潮社「フォーサイト」に最近、石巻の津波遺族の8年を『魂となり逢える日まで』の題で連載しました。どうぞネットで検索して、私のこの返信と併せて読んでみてください。ディアの世界」受講生の皆さんへ ローカルジャーナリスト 寺島英弥 2019/7/9

5月21日に「被災地と共に~当事者とつながる取材とは」の講義をさせてもらい、皆さんの感想票を拝読しました。河北新報記者を卒業し、東日本大震災・原発事故の被災地となった古里で始めた「ローカルジャーナリスト」の活動と視点を紹介しましたが、ローカルジャーナリストの存在意味に共感をつづってくださったこと、ありがとうございます。

自分のできることは、「目にした風景、出会った人の言葉や状況、その場の匂いや音や色、それらを削ることなく記録し、伝えること。そして、同胞たちの声の発信を手助けすること」。そんな真っ白な使命感のようなものでした。』何も終わらない被災地の人々の闘いや痛み、新たな問題も生まれてくる現実を、当事者の声を通して発信し、応援してくれる人を東北へとつなぐこと。古里と生業を、家族や仲間との暮らしを、懐かしい未来を共に模索してくれる人々をつなぐこと。それが思いになりました

私が5月に開設したHP「人と人をつなぐラボ」に書いた一節です。記者時代の未曽有の震災取材の現場で、限られた紙面、文字数でしか伝えられない新聞の物理的限界を感じて、取材記ブログ「余震の中で新聞を作る」を始め、被災者の人々と同じ地域で共に生きて、通い続け、声を発信し続けるローカルジャーナリストを目指したきっかけです。

誰がジャーナリストか、という設問は間違いだ。ジャーナリズムは誰がそれをやるか、どのメディアや企業がそれを伝えるかで定義されるものではない。
ジャーナリズムというものがあるのではない。それは行為だ。情報を伝えるという行為がジャーナリズムなのだ。それは名詞ではなく、動詞だ。

桜美林大教授、平和博さんの論考で知ったニューヨーク市立大学教授ジェフ・ジャービス氏の言葉を、講義で紹介させてもらいました。私がとても共感した言葉です。さまざまな現場に出合い、立ち合い、事実を知った人が「伝えねばならない」使命を感じ、当事者の声の発信を手助けしようとする時、あらゆる場所にジャーナリズムは生まれます。ローカルジャーナリストの意味も可能性もそこにあります。以下は皆さんの感想の一部です。

被災地を取材するということは、被災者にとってメディアは「嫌な記憶をフラッシュバックさせるもの」ではないかと私は感じていた。テレビ、新聞、ラジオ、Webニュース、など何人もの記者が詳しく取材することで、心の傷を深掘りさせているのではないかと考えたからだ。しかし、寺島さんは実際に被災地に通い続けることで被災者に寄り添い、何かを求めている、訴えているときにそばにいる存在であった。「被災者と何回も会い、本当の気持ちを考え、事実を伝える」記者、ジャーナリストが増えて欲しい』

 『地方での災害は都市部での災害に比べ報道が少ない、という問題が西日本の豪雨の際にネットで目にしました。東京のテレビ放送は東京に住んでいる人向けであるということもあると思いますが、報道は全国どこの出来事でも同じ量行われるべきだと思う』

 『ジャーナリストには冷たい響きもありますが、実際一番大切なことは、どんな時も“信頼”。情報は人から生まれるものであり、人からもらうものであり、人に伝えるものだ。ジャーナリストは、人と人を優しい気持ちというか優しいカタチで繋がなければいけない、とてもとても難しく使命感のある仕事なのだと知りました

講義では、被災地であった酷い「報道被害」を知ってもらいました。遠くから来て、締め切りに追われながら衝撃や悲劇のニュースを漁り、当事者との約束を破って放映も知らせず、癒えることのない深い傷を心に負わせ、抗議を受ければ口先で謝って半ば逃げ、取り返しのつかないマスコミ不信を後に残す。東日本大震災だけでなく各地の大きな災害、事件事故の取材現場で後を絶たない現実です。「ニュースのストーリーを東京で作ってきて、最後の数行の「」のために私のコメントを使われた」といった訴えも聞かされました。いったい誰のためのニュースなのか、そのような「速報」にどんな価値があるのでしょう。

メディア(Media)の本義はMedium、「間にあってつなぐもの」です。現場の当事者と遠くの他者との間にいて、取材相手の発した声の真意と価値を正しく、誤解を生まぬように他者に伝えなくては、オリジナルの情報を劣化させてしまっては、意味がありません。厳しいですが、それがメディアというもの、プロフェッショナルのジャーナリストの責務なのです。取材して原稿を書いた後、私は必ず当事者に事実関係を確認させてもらい、「あなたの話してくれたこと、あなたのその時の思いは伝わりますか?」と尋ねます。そして、それがいつ、どんなメディアに掲載されるか、そして、確かに掲載されたことも伝えます。取材させてもらった当事者が、第一読者、第一視聴者となることを忘れてはいけません。

そして、それで取材が終わりでなく、相手の当事者との信頼関係づくりの始まりにすぎません。メディアの取材は、普通の人にとって人生に何度もないことかもしれません。どんな形で報じられるか不安で、信用できる取材者であるようにと願います。その期待を裏切ってはいけません。そうして世に出た記事を目にして初めて安堵でき、「この人なら、もっと本音の話を聴いてもらいたい」という信頼が生まれます。そこから取材先へ通うようになり、つながりが育ちます。次の訪問で境遇や地元の状況に変化があったと聞けば、「続報」になります。そうした取材先の縁が被災地の南北に増え、8年の間に数えきれぬ続報や連載が生まれ、新聞、ブログからウェブマガジンに発信の舞台は変わっても、途切れることなく今のローカルジャーナリストとしての仕事に続いています。震災、原発事故の被災地の風景、人の暮らしと心もいまだ復興の途上にあることを伝えることができるのです。

新潮社「フォーサイト」に最近、石巻の津波遺族の8年を『魂となり逢える日まで』の題で連載しました。どうぞネットで検索して、私のこの返信と併せて読んでみてください。