「ジャーナリズム9月号」に拙稿「京都アニメーション事件と報道 大学生とリテラシーを考えた」が載りました。

 「ジャーナリズム」誌(朝日新聞社)9月号のメディアリポートに、「京都アニメーション事件と報道 大学生とリテラシーを考えた」と題し、尚絅学院大のメディアリテラシーの授業で学生さんたちと考えたことを書かせていただいた。
 リアルタイムで起きたのが、若者の関心が高い京都アニメーションの火災事件の惨事。放火容疑者は確保されたが重傷で未発表のうちから、ネットでは即犯人探しが始まり、無関係の人まで実名をさらされた。
 裏を取れ!とたたきこまれた筆者の経験から「信頼」とは何かを考え、また、犠牲者の実名公表まで長い時間の取材者、遺族、警察の間の葛藤を、それぞれの立場になって想像してもらった。そして、たとえ一人たりとも実名をおろそかにできぬ報道側の理由も。
 過去の「不都合隠し」との闘いの教訓のみならず、震災で石巻にいた中学の同級生の名前を新聞に見つけた衝撃、現実の痛みを知った筆者の経験も。
 「数字からは何も伝わらない。失われた人の夢や思いが『わが事』となって初めて事の意味が分かる。そのつながりをつくることがメディア(間で介在するものの)の役目」と、学生さんに伝えさせてもらった。災害や戦争、犯罪の犠牲も、身近な自死も。