相馬の同級生からのSOS

 原発事故が起きた時もそうでしたが、被災地になった郷里に毎日でも飛んでいって、友人たちの復旧を手伝いたい、という気持ちに心揺らぎます。
 きょう、女性一人でお店を営む相馬市の幼なじみに電話しました。12日夜のニュースで、宇多川からの氾濫で真っ先に地名が挙がった、常磐線より浜寄りの地区にお住まいで、そこには45センチ、水が上がったそうです。
 床下浸水でしたが、大事なお店の商品を救いきれず、商品の冷蔵庫にも泥水が入り、倉庫も同様で手付かず。店の床のカーペットは水で重くて運び出せないままだそうです。水道はきょう戻りましたが、ボイラー類が壊れてお風呂も無理…。
 同級生でLINEをしていて、そこに彼女から、「あの大嵐の中、名取(北に40キロ)に住む子どもの家族が心配して車を飛ばし、助けに駆けつけてくれた。それがこの災難の中で一番うれしかったことです」との投稿がありました。
 でも、できたことは家族での応急の泥のかき出しだけ。水に浸かった自宅の床下も、泥を掻き出さねばなりませんが、それにも人手が必要。私の同級生たちをはじめ、こうした家々が数えきれません。
 相馬市社協はボランティア受け入れを始めており、「女手一つで困っています」と派遣を申し込みましたが、高齢者だけの被災世帯も多く、そちらが優先なのだそうです。先行きがまったく見えず、途方に暮れています。
 もう一つ、「東北でも宮城県の丸森町など、大被害の地域が連日報道され、関心も支援も関心も向かうけれど、『その他』のたくさんの被災地が忘れられてしまうのが怖い」と話していました。
 岡山の大水害の時に、同じ状況を訴える悲鳴のようなTwitterをたくさん目にしました。元新聞記者としては心苦しい限りながら、Facebookにて紹介させてもらいました。シェアしていただたら、うれしいです。