「また会おう!」の真意? 小田和正さんのインタビューに思ったこと。
先日、NHKで小田和正さんの最近のツアー「ENCORE‼︎ ENCORE‼︎」の特番を2時間観たばかりと思ったら、朝日新聞でインタビューシリーズが始まった。
去年、仙台でのライブをネットで申し込んで、当たりハガキが届いたのに気づかずに期限切れ…という信じられぬ痛恨事があった。「70を過ぎた小田さん、もうコンサートは最後かも」という噂もあると聞き、放映のステージに癒されながらもちょっとフクザツだった。
追加公演の最終地、愛媛でお客さんに「また会おう」と語ったという。NHKのアナウンサーも番組の終わりに、その真意をご本人に問うていた。
小田さんの「個人主義」以降の曲は、もうオフコース時代の完成度や孤高の美、大ヒット云々ではなく、聴く人の心にじかに響き、優しく語りかけ、癒し、慰め、励まし、共感した誰かともつないでくれる「歌」になった。
雪が溶けてゆくみたいに 今はそのまま ゆっくり 元気になって
君が好き それを伝えたかったんだ 遠くから ずっと 君を思ってた
君の好きな ふるさとの街に また あの日々が 戻って来ますように
嬉しいことが 楽しいことがたくさん 待ってるといいね
ボクには 歌うことしかできないけれど
「小田日和」のこの曲(その日が来るまで)を初めて聴いて、被災地を思って歌ってるんだ、と水が染み込むように伝わった。歌で寄り添うってこうなんだ、遠くから人を思う気持ちってこうだよな、と被災地側にいた自分にも素直に思えた。
(花は咲く…は聴きたくない、もうたくさん、という人は多いのです)
コンサート会場じゅうを歩いて、3時間歌い続けて、体も声のキープによほどの努力をしているのか、と想像していたら、朝日のインタビューではそうでもないという。「声は勝手に出るしね。自分でも驚くくらいに出ちゃうんだよね」だって。こちらも驚いた。
「できたら、また俺もまた、戻ってきたいと思っている」ってね。ーという言葉もあった。とても自然体のままで、ツアーをやめねばならぬようなキモチも読み取れなかった。
その日が来るまで、遠くから首を長くして待っていることにしよう…