巣ごもり企画「Book cover challenge 」で7冊紹介しました。

 

コロナ禍で巣ごもりやむなき折、フェイスブックで自然発生的に企画された「Book cover challenge 」は、バトンリレー方式で指名を受けて好きな本を7冊紹介し、その都度、次の誰かにバトンを渡す趣向です。私も7冊、愛着のある本を紹介しましたので、お付き合いください。

私の1冊目はすぐ決まりました。2008年に亡くなった作家柳原和子さんの「百万回の永訣 がん再発日記」です。
「当事者」とどうつながれるのか?と模索し悩む時に読んで、砲弾のような衝撃を受け、「この人に会いに行かなければ」と著者がいる京都に飛びました。後にも先にも、そんな無鉄砲をさせた本はありません。

寺島の2冊目です。一本一本の文が短くシンプル、明晰でいて非日常へ導く不思議さ。どんな文章読本よりお薦めです。

 

世間(よのなか)を 憂しとやさしと思へども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば

憶良のころから、大政翼賛のころからさえ、変わらぬもの。日本の社会も自民党も変革できぬのは、社会ならぬ『世間』だから。毎朝のようにうんざりなテレビのワイドショーなど井戸端会議そのものだし、ネットに広がった「世間」は次々と”犯人たたき”をする。私たちはいまなお、漱石や荷風や光晴の闘った場所から始めなきゃならないー。目からうろこの名著と思います。

「当事者からも取材者の主観からも離れることが、『客観』ではないんですか?」と質問されると、私は「すべてを知った『神』みたいな無人称の記事ほど、実は傲慢で怖いものはないよ」と答えます。

心理学者の著者は、密室での自白と無人称の供述調書がつくりあげる物語→冤罪などを手掛かりに「私」が消えた世界を語り、「私」とは何なのか?を探究します。村上春樹の不条理な小説に分け入るような魅力がありますよ。

オシラサマ、ザシキワラシ、サムトの婆、デンデラ野、シルマシ…。遠野物語は、私の東北人としての心の原風景です。取材を機縁に何度も読んでは訪ね、山の夕暮れに浸りました。

遠野の人である著者(故人・元遠野博物館学芸員)は、切なく優しい抒情詩のように、怪異とムラの悲劇、現実と境なき異界の呼び声、死者とも自然とも共に生きる里人の心情を伝えます。

私の5冊目です。絶版なのですが、これ以上の遠野物語の語り手を知りません(古書は出ています)。皆さん、落ち着いたらぜひ東北においでください。

取材で縁をいただいた蟻塚亮二さんは、震災・原発事故の被災者の心をケアする場「メンタルクリニックなごみ」(相馬市)の院長です。

 恐ろしい体験の衝撃と喪失の悲嘆の傷は、悲しみを語れぬまま癒えず、不意のぶり返しで人を苦しめる―。蟻塚さんが多くの被災者の訴えに見出したのが「遅発性PTSD」です。その症状に初めて触れたのが、震災前にいた沖縄の病院。沖縄戦体験者たちの60年を越える苦しみでした。

戦災や震災は「風化させない」ではなく、当事者の心身から「風化することがない」。私たちが聴き手となって分かち合うまでは…。 1人の精神科医の寄り添いの記録が、私の「ブックカバーチャレンジ」6冊目です。

東北出の18歳が東京の雑踏でさ迷い、不登校もした日々に出合った映画館。大学の正門から下宿に至る道の角の「牛込文化劇場」(今はありません)。黄金期を過ぎてなお、荒々しく切なく美しかった日活ロマンポルノの名作群(そして女優たち)が暗闇で輝いていました。

日本映画の前衛だったATG(アートシアターギルド)、胸躍るアメリカニューシネマも加え、70年代後半に観た刺激的な映画たちが、自分の青春だったなぁと思えます。「祭りの準備」「四畳半襖の裏張り しのび肌」の脚本を書いた中島丈博が好きで、会社訪問もせず、脚本家になれたら…と妄想してました。

夢が去ってもバイブルであり続けたフィルムアート社のこの「三位一体」の映画本が、私の「ブックカバーチャレンジ」のトリにならざるを得ません。いまも時々めくっています。