14日で熊本地震から6年。「被災者の本当の『復興』とは」の題で熊本日日新聞に、東北からの思いを寄稿させてもらいました。
きょう4月14日は、熊本地震から6年を刻みます。熊本日日新聞の13日付の文化面に、〈被災者の本当の「復興」とは〉の題で寄稿が載りましました。 先月刊行の『東日本大震災 遺族たちの終わらぬ旅ー亡きわが子よ 悲傷もまた愛』(荒蝦夷)がご縁になりました。
愛する人々をなくし、古里を取り戻せぬ痛みは終わらず、変わる被災地の風景に問題は隠れ、変容し、そこに通い続けなければ、当事者に聴き続けなければ、見えなくなってしまう。それを「風化」というのではないか? そして、風化させる主体とは誰か?
また年一度になった「記念日報道」が取材者にとっての震災の教訓、「復興」の意味を見失わせ、信頼なきまま当事者を傷つけていないか? 「寄り添う」の本当の意味とは? それゆえの掛け替えない役目が地元紙にあるーとの思いを、東北から熊本へつながせてもらいました