【CafeVita92 ジャガイモに花が咲く、されど畑に未来は…】

ジャガイモの花が咲いた。春から農作業見習いで通う山形県村山市、かみさんの実家の畑で。ロマンチックなほど薄紫の花びら、めしべを包むような鮮やかに黄色いオシベ。去年、北海道の次男を訪ねた際、視界いっぱいのジャガイモの花を見て感動し、大好きな花になった。

山形の6月のサクランボ不作を〈TOHOKU360〉の記事で紹介したが、ジャガイモはよく育っているよう。ささやかだが他の豆類やサトイモ、カボチャ、スイカも葉を広げた。この日は梅雨に入って伸びた雑草を刈ったり抜いたり、どろんこになり大変だった。

 「そりゃ雑草との闘いは、昔から農家は同じ。だがこの、人のいない景色を見ろよ。俺たちが通えなくなったら、畑は雑草に埋もれて終わりよ」
 隣りの畑義理の伯父がため息をついた。今は電動の草刈り機や農具が省力してくれて、かろうじて田園風景が保たれているが、中学教師からリタイア就農した彼も88歳。いろいろ教えてくれるが、もう来年は分からない、と笑う。この小さな畑だって、90代になった義理のお袋さんの病後に「もったいない」と、かみさんが一念発起で引き継いだ。
 山あいに連なる畑は、農家が代々、一年一年積み重ねた英知の結晶に思える。「農家の長男は勉強はいらない、夜仕事(わら打ちの音が競うようにムラに響いたという)もしっかりやれ」と親父に言われながら、反発、奮闘して山形大の教育に入った努力家。その世代もあと数年前のうちに引退か。昨年も、この地元で75歳で「もう限界」とサクランボ農家を“卒業”した夫婦を取材したばかり。
 「ジャガイモやニンジンが値上がりしてるそうだな」という世間話にも、筆者のような見習いの身でも「作ればいいべね」とナマイキな冗談を飛ばすくらいに、畑の偉大さを痛感する。政府発表の食料自給率の無味乾燥な数字では表せぬ、文化財のような農村の暮らしと畑。どんなに小さくても、その承継あるいは伝承はどうなる、と改めて思う。『土を喰らう十二カ月』を観てなおさら…。