【閉塞に風穴を開けるマスコミュニケーターとは? コロナ禍での達増岩手県知事から、石丸さん、斎藤さんを考えた】

 毎週火曜は東北文化学園大(仙台・国見)で3年目の「マスコミュニケーション論」の授業に通う。50人の受講生全員がスマホを手にした当事者、世界とつながれる主役―との現実を出発点に、今期は、①「マスコミュニケーションとは何だろう?」、②「閉塞に風穴を開ける『ニュース』の役目~強制不妊問題から」、③「フェイクニュースはどこで生まれた~米大統領選とトランプ」、④「パリ五輪をめぐる誹謗中傷とSNS、当事者の声」、⑤「誰もが声の発信で世界を変える可能性~BLM運動から」、⑥「コロナ禍中の「自粛警察」~社会と人心の不安のたびに蘇るもの」、⑦「ネット情報と現場の『事実』~京都アニメーション放火事件から」~まで回を重ねた。おとなしい受講生の受け止めが気掛かりだが、いつも感想カードにはっとさせられる。
 コロナ禍をめぐる回では、「自粛」の名で「世間の目」を利用した政府の策のもと、有形無形の❝自粛警察❞がにはびこり、社会も地域の正常なコミュニケーションが失われ、窒息同然の状況になった当時、その圧力を最も強く感じたのが岩手県の住民だったのではないか。都道府県で最後まで「感染者ゼロ」を続けて、生真面目な努力の一方で、誰もが最初の一人になること、県境も越えた誹謗中傷を恐れ、緊張して過ごしたと聞いた。そんな時、その閉塞に風穴を開けたのが知事だった。
 相談、検査もためらう県民に、「第1号になっても県は責めません」「感染者は出ていいから相談を。ゼロは目標ではない、陽性は悪ではない、」と達増拓也知事が会見で呼びかけた。実際に最初に感染者が出て、勤務先に誹謗中傷の電話、メールが相次いだ時、知事は再び会見で、そうした行為に「県は厳格に臨む。鬼になる」と語り、県民を守るため、裁判に備えた証拠画面を保存する支援にも乗り出した。
 「社会の閉塞に風穴を開け、空気や水の流れのようにマスコミュニケーションを取り戻せる者が本当のコミュニケーターであり、リーダーの役目なのではないか」と筆者が締めくくった授業の感想カードに、岩手出身の受講生が2人、こう書いた。
 「私は岩手県に住んでいたので、コロナに対して県民に意識は他県の人より並み以上に感じていました」
 「私も岩手出身で盛岡にいて、当時の知事があの会見で言ったことは今でも覚えている。人の上に立つ人らしい行いだったと思う」
 まだ高校生だった彼らに、どれほどつらかった渦中だろう。そんな当事者たちからいただいた賛同のコメントがうれしかった。
 授業では「気になった直近のニュース」を教室で聴いて回る。今週は、兵庫県知事選が何人から挙がった。やはり【youtube】で配信された斎藤元彦前知事をめぐる話題に関心をもったという。
 内部告発した部下の自死をはじめパワハラ疑惑などが、県議会の百条委員会から追及された。その経緯は新聞、テレビも大きく報じた。失職し、出直し選挙に孤立無援で出馬のは知っていたが、選挙戦後の続報は減り、話題が目に入った時には❝ユーチューブ勝手連❞などSNSとの応援、現実の街頭の熱気が盛り上がった不可思議な逆転状況だった。「SNSの発信、県民と直接会う街頭が選挙戦の軸だった」と語り、県庁復帰で「生まれ変わる」と語った。陰謀論もネット空間で広がった中、県議会と同様マスコミが「既得権益の代表」「敗者」と評された。不確かなネット情報にファクトチェックで反論できなったことも問題点と論じられる。
 安芸高田という中国地方の小さな市で、地元メディアの支局もない情報過疎の中で、市長としての行動を自ら中継・発信し、慣習に浸った議員らに「恥を知れ」と言い放った石丸伸二さん。その後の世評は賛否さまざまだが、彼は紛れもなくマスコミュニケーターだと思った。その発言と行動が投げかけた問題課題は元地方紙記者の筆者にも、重く考えさせるものだった(添付の拙稿参照)。「石丸現象」を地方の現実とローカルジャーナリズムの経験から考える | TOHOKU360
 まだ釈然としない。斎藤さんは何を自ら発信したのだろう。メディアを超えてインパクトをもって突き刺さる、自身の言葉は語られたのだろうか。いろんなニュースに触れても伝わってこない。話題だけは大きな知事選を終えてなお、現地のマスコミュニケーション状況はいまだ閉塞を破る風穴が開かぬままなのではないか。