平山優さんの『武田氏滅亡』を読み終える~勝頼殿との新たな出会い
歴史研究家・平山優さんの『武田氏滅亡』、751㌻を読み終える。
“老舗大企業を潰した二代目”の印象だった武田勝頼が、~功を焦った長篠合戦の大失敗はあったけれど~それからの立て直しと反転攻勢に頑張り、謙信や信長や家康や氏政から一目置かれ恐れられながら、いくつかの誤った選択から、状況悪化と離反、裏切りを招き、最後は女性たちを入れてわずか数十人の落ち延びの末に族滅…。信玄が残した重すぎる負の遺産を一身に引き受け、四方八方の難題に立ち向かった気概と勇気だけでも、ただ天地人の運に恵まれなかった人と思える。
勝頼と、彼と死出の旅を共にした人々の最後の「田野合戦」(天目山麓)の地を訪ねたことがある。甲斐大和駅から長い曲がりくねった坂道を1時間ほど歩いた。当時はうっそうとした山中だったろう。織田軍との戦いで死屍累々となった場所には「景徳院」という寺があり、その境内そのものが墓域という。他に人影のない寂しい冬の日、手を合わせつつ昔に思いを馳せた(写真は筆者)。
平山さんは東京出身だが、両親がこの田野の人で景徳院は菩提寺と、あとがきで知った。勝頼一行の悲哀を伝え聞いて育ち、歴史研究を志したそうだ。そうした思い、心情を本の文章、記述に交じえることなく、事実か否か、膨大な書状など文献、新旧資料、通説異説、各地伝承の検証を丹念に重ねながら、しかしこれ以上のドラマはないと思える最終章に上り詰める。
人は死に際し、大名でも武将でもなく、裸の人間の姿に戻る。実家の北條家に戻ることを拒み、剣戟のさなか、先んじて殉じた妻に悲嘆する一人の優しい夫、そんな素顔に初めて出会えた。この本のおかげで。勝頼殿も浮かばれたのではないか。