あれから13年の3月11日、私は閖上で祈り、浪江町の原発訴訟の集会で怒り…

 あれから13年の3月11日、どう過ごされただろう。私は今年もぎりぎりまで仕込んだ原稿を手放し、掲載を見届けた後、ほぼ放心みたいな半日。そして午後2時46分を、大学の授業で縁が深まった地元名取の被災地・閖上で黙とう。神戸の方々が届けた慰霊の竹灯籠に蝋燭の火が揺れ、その向こうに、終わりのない悲しみの祈りの列が続いた。
 それから向かったのは仙台市内の弁護士会館。私の郷里に近い原発事故の帰還困難区域、浪江町津島の住民訴訟(国、東電に原状回復など訴え)がこの日、裁判の期日に当たり、その後の集会を聴いた。福島の避難先から集った人びとの黙祷には参加できなかったが、こちらには終わりのない怒りがあり、私もここでは同胞の一人に戻った。